私は若い頃、死は遠い、遠い、遠い先のことで
ひよっとしたら、自分は死なないんじゃないかと
バカなことをうっすらと思っていたものだ。
白兎海岸
そんな私もこの8月で67になる。
この忌まわしいコロナは私にとって
死というモノを正面から考える機会でもあった。
私はまだまだ元気だし、
他人からは若いと言われる(多分にお世辞だろうが)が、
人には寿命というものが必ずある。
これには例外はない。
寂しい話だが、
我々は毎日死に向かって今生きているということだ。
ある学者は‘’人は毎日少しずつ死んでいる‘’と言った。
だからといって人は自暴自棄になることもなく、
捨て鉢にはならない。
毎日同じようなことを繰り返して生きている。
何だかヒトってスゴイ。
成し遂げたいものがある?
それとも家族や子供のため?
死ねないから漠然と?
でも生きていくことに明確な目的や
理由があるかないかはそれほど重要じゃない
今、生きているってことが大切なんだと思う。
人は生まれてきたら祝福され、
死ぬときは看取ってほしい。
いきなりこの世から引き離されるコロナだけは
勘弁してほしい。
寿命の前に持っていかれるなんてマッピラだ。
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コロナは人の生き方そのものや
社会生活や働き方に大きな変化をもたらしている。
大都市集中の問題もずっと以前からの懸念事項であったけど
このコロナで議論も再燃されるでしょう。
世の中は
何か大きなことが起こらないと変わらないならば
終息後の新生世界はぜひこの目で見たい。
心震えるほどの感動感激を味わいたい。
それまで息苦しい日々が続くが
何とか乗り越えていきたいね。
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