私の好きな電車、
マルーン(えんじ)に塗られた車体が何とも言えない。
14年前、
100メートルも歩けば淀川に突き当たる
大阪北区、中津のどん詰まり、
ビルの9階にあった大阪営業所に出向していた当時、
毎日通勤に利用していた電車だ。
刺激的な十三(じゅうそう)には、一度も
降りたことがないし、
会社への行き帰り、吊り革につかまって見る
神崎川のゴルフ練習場
恨めしかった。
住んでいた所は、中津から5つ目の武庫之荘、
スーパーとクリーニング店しか知らない町だ。
駅から15分ほど歩いた閑静な住宅地にある
会社借り上げのマンスリーマンションだった。
閑静といえば聞こえがいいが、ただ何もない
殺風景な住宅地だ。
マンションといっても、
小さなキッチンシンクと1個の片手鍋、
小さな白の冷蔵庫、私にはひどく窮屈な1Kだった。
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武庫之荘から西に2つ目の夙川(しゅくがわ)
ここは、切なく遠い思い出のある町だ。
京都での浪人時代にたった2回だけ訪ねた、
当時恋人が住んでいた町。
春、夙川沿いに咲き乱れる桜は美しい。
駅の右手の坂道の途中にある喫茶店はもう無くなっていた。
たまの休みの日には、三宮へ出かけた。
映画を観たり、本屋をながめたり、アーケードを
飽かずに歩いたり、駅裏の小さな中華の店で、
ラーメンを食べたりした。
もちろん神戸には、仕事でもたびたび通った。
震災時大きな被害を受けた神社前の商店街も
かつてのように賑わっていた。
その長田区のダラダラ坂を上ったところに
総合案内所があったからだ。
(総合案内所とは、特定の旅館やドライブイン、
観光協会の営業代行会社のこと)
気心も知れたおばちゃん社長との会話も
楽しかった。
ずいぶん前に、商売は畳まれたが
今でもお付き合いさせてもらっている。
今年も、早々と賀状をいただいた。
いつまでもお元気でいて欲しい。
あの未曾有の
阪神淡路大震災からもう23年になるんだね。
決して忘れないように、
合掌。
震災が、カメラ屋店主をプロゴルファーに導いた話