車を運転していたら、カーFMから、
マービン・ゲイの、「愛のゆくえ」(What’sGoin’ on)が
流れてきた。
「よしっ!」、 私は思わず声をあげた。
私にとっては、決して忘れられない思い出の曲なのである。
初めてこの曲を耳にしたのは、京都での予備校通いの浪人時代、
1971年のこと。
予備校帰り、特に目的もなく河原町あたりを
ブラついていたその日、
BALビルの前を通りかかったときに
突然私の耳に飛び込んできた曲だった。
この曲を聴いたとたん、そのメロディとその歌い手の声質の
素晴らしさに魅了された。
すぐ下宿に戻り、調べてみた。
それが、マービン・ゲイ(marvin gaye)の邦題 「愛のゆくえ」だった。
この曲は、ダブルミリオンの売り上げを達成し
アメリカ音楽史上における不朽の名作といわれる評価を受け、
ロック雑誌「Rolling Stone」に70年代を代表するベストアルバムとして
選ばれています。
ロックではなく、ソウルのアルバムが選ばれたことに
その楽曲の群を抜く素晴らしさをみることができますね。
この曲の2番の歌詞を紹介しましょう、
父よ、父よ
僕たちの関係をエスカレートさせる必要なんかないさ
争いが解決にならないことは分かっている
愛だけが憎しみを克服できるのさ
僕たちの間にも愛を見つける方法はあるって分かっているだろ
デモ隊のピケ、スローガンの書かれたプラカード、
ひどい罰を僕に与えるのはもうやめて欲しんんだ
話し合おう、そうすれば分かってくれるだろう
ああ、(僕たちに)一体、何が起こっているというんだ
何が起こっているというんだ
・・・・・・・・・・・・・
この曲は1960年代後期からアメリカ全土で沸き起こった
作られた作品です。
GIカットに対抗し、徴兵拒否の意思を込めて
髪を長く伸ばしたという。
体制に抗う自由の象徴が長髪だった。
京都は学生の町、
学生の多くが髪の毛を伸ばし、
ジーンズを履き、下駄履きだった。
今では想像できないが、
私も髪の毛が肩あたりまでありました。
まさにバンバンの「いちご白書をもう一度」の
歌詞にもあるような時代だった。
アメリカから始まった反戦運動に呼応する
学生運動がまだ色濃く残った、
そんな時代だったのです。
まだまだ活躍が期待されたマービン・ゲイでしたが、
突然閉じることになるのです。
その報を聞いたときの衝撃と悲しみは
言い表せません。
あの京都の日から30年後、
私は新しくオープンさせたBARに
【MARVIN】と名付けました。
それは、私なりの思いが詰まったオマージュでした。