達人の粋なゴルフスタイル

ゴルフは人生のようなもの 人生はスタイリッシュに

‘’22才の別れ‘’と達人の東京中野区・四畳半学生時代のこと。

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                「熱唱!昭和フォーク!傑作選」

 BS朝日で放送、朝5時から15時までの、長い番組でした。

途切れ、途切れで見ていたら、いいタイミングで

伊勢正三、作詞作曲、「22才の別れ」が流れた。

いろんな思いも想い出も入り混じった懐かしいというより、

鼻の奥がツーンとなる切なさだ。

 

その曲が流行ったころ、ボクも22才だった、

小さなアパート暮らしの学生時代だった。

 

中野区南台の2階建て、一階は大家さんの自宅。

向かって右の鉄製の階段を上がると、

二階は6部屋のアパートになっていて、トイレは共同だ。

 

ボクの部屋は、一番手前左側。

路地に面した、4帖半。

半間の幅の出窓風のシンク、一口のコンロが付いていた。

 

布を被せたビールケースの上に

ボディがオレンジ色の14型テレビ、

秋葉原で購入し持ち帰ったものだ。

 

入って右の角に、ビニールのファンシーケース。

そして小さな四角の冷蔵庫、たいてい牛乳しか入ってなかった。

 

その横に、オレンジ色の3段カラーボックス、

テレビとのトータルコーディネート?

 

その棚には、カップ麺が山積みだった、

そう言えば、四角い顔の落語家さんが

ペヤングソース焼きそばのCMやってたっけ。

 

机の上には、ラジカセ。

井上陽水の「氷の世界」や、

野口五郎の「私鉄沿線」もよく流れていた。

 

毒蝮三太夫や、近石真介のラジオも大好きだった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

夕方5時きっかりに、近くの銭湯に行った。

高い窓から差し込む夕陽と、

頭がスースーしたトニックシャンプーの香りが懐かしい。

 

アパートに戻り、窓際のてすりにタオルを干す。

少し体を伸ばし左手を見ると、新宿の高層ビルが見えた。

今では想像出来ないだろうけど、

当時は、京王プラザホテルの他に、

3本しか建ってなかった時代だ。

 

日が落ちれば、

リーバイスラングラーベルボトムジーンズに

ウェスタンシャツを羽織って、

金も無いのに幡ヶ谷あたりの安い飲み屋に出かけたものだ。

 

今思えば、なにか滑稽だけど、

当時はウェスタンシャツが流行っていたんですよ。

 

大学へは新宿までバスそれから中央線で市ヶ谷まで、

時には気分を変えて

飯田橋まで行ってから戻ったり。

 

第二外国語の小教室、系列の高校から上がってきた連中が

机の上に座りクラブを磨きながら、

《次はどこのコースに行く?》なんてゴルフの話をしていて、

「なんだ、こいつら。何がゴルフだ」と思っていたが、

自分もその後ゴルフをするようになるなんて、

その時は夢にも思っていなかった。

 

絶対、自分には無縁だと思ってたり、

こんな事は関係ないと思っていたことを、

いつか自分がしてたりする。

・・・人生は不思議です。

 

若き日の、いろいろを思い出させる、

22才の別れ

 

ひととき、

ボクはあの狭いアパートの住人に戻っていました。

 

40年も前の青春に。